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福島地方裁判所 昭和24年(と)177号 判決

被告人 斎藤千 外三名

主文

被告人四名はいずれも無罪。

理由

本件は、被告人斎藤千に対する(1)昭和二四年(と)第一七七号暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、(2)同年(と)第二三五号住居侵入、(3)被告人赤間勝美に対する同年(と)第一七八号暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、(4)被告人武田久、同岡田十良松に対する同年(と)第一九九号住居侵入ならびに暴力行為等処罰ニ関スル法律違反各事件に分れる。各起訴状記載の公訴事実によれば(1)(3)の各事件は昭和二十四年七月七日福島県伊達郡伊達町国鉄東北本線伊達駅構内において、(2)(4)の各事件は同年同月四日福島市西町国鉄福島綜合事務所(当時の仙台鉄道局福島管理部庁舎内)において発生した事件であつて、訴訟関係人の間では前者を伊達駅事件、後者を福島管理部事件(福管事件)と一括して呼んでいる。そこでここでも判断の便宜上、本件各公訴事実をいわゆる福島管理部事件と伊達駅事件との二つに纒めて掲げ、右各事件ごとに判断をすることにする。

第一章  福島管理部事件

第一公訴事実

右事件の起訴状記載の公訴事実の要旨は次のとおりである。すなわち、

(被告人武田、同斎藤、同岡田の当時の職業および労働組合員としての地位)

被告人武田は元国鉄仙台鉄道局福島管理部に勤務する国鉄職員であつて国鉄労働組合福島支部執行委員長兼闘争委員長(組合専従員)、同斎藤は元国鉄福島駅に貨物係として勤務する国鉄職員であつて右福島支部執行委員文化部長兼闘争委員、同岡田は元前記福島管理部に勤務する国鉄職員であつて右福島支部福島分会執行委員の各地位にあつた者であるが、被告人武田は昭和二十四年七月二十日、同斎藤は同月五日、同岡田は同月七日いずれも行政機関職員定員法(昭和二四年法律第一二六号)に基いて行われた国鉄の行政整理によつてそれぞれ国鉄職員を退職したものである。

(事件発生に至るまでのいきさつ)

国鉄労働組合福島支部は右定員法に基いて行われる行政整理に反対し、同法律案が国会に提出された当時からその通過を阻止しようと運動を続け、国鉄当局その他の関係機関に対して行政整理反対の陳情や要求をし、被告人らはいずれもこれら反対運動の指導をしてきた。昭和二十四年七月二日右福島支部は福島管理部長戸谷信雄に対し、行政整理反対ならびに整理条件についての要求をするため、「福島分会は首切反対陳情のため七月二日十二時支部に集合せよ。現場には運転に支障のない最少人員を止めよ」という闘争指令(支部指令三十八号)を発し、これに基き同日十二時頃被告人武田、福島支部闘争委員兼同支部福島分会委員長鈴木信等は同支部事務所に集合した数百名の労働組合員に対し、今から管理部長に首切反対の陳情に行くから全員管理部玄関前広場に行けと指導し、これら労働組合員に同日午後二時四十五分頃から約三十分間右広場において管理部長戸谷に対し陳情をさせ、次いで「首切人員については組合として全然承服することはできない。管理部長は首切案を撤回して九千六百人の生活を守れ。部長は局長・総裁に首切を返上に行け」ほか三項目を記載した申込書と題する書面を同部長に手交し、直ちにその回答を求めたが、同部長は後日その回答をすべき旨答えてその会見を終了した。同月四日被告人武田、前記鈴木および福島支部副闘争委員長渡辺郁造等は午後二時二十五分頃から四時頃まで福島管理部庁舎管理部長室において同部長に対し前記申込書の回答を求めて会見したところ、同部長はこれが回答をすると同時に同月二日午後七時五十六分仙台鉄道局長から福島管理部長あてに発せられた「国鉄本庁においては七月二日十六時四十分を以て行政整理に関する労組との話合を打切つたから以後の話合は仙鉄局においてもしない方針であるから、貴管理部においても適当な時期に話合を打切られたい」旨の電信を示して今後労働組合側との行政整理に関する話合は打切ることを告知した。被告人武田、前記鈴木等は、これより先同日午後二時頃「首切の通告は現場長より本人に通告されるので全組合員は職場に待機せよ。各分会は直ちに次の行動に移れ。福島分会は十七時全員組合事務所に集れ。郡山分会はあらゆる態勢に入る準備を行え。十七時を期し汽笛一斉吹鳴せよ。若松分会は配置につき職場防衛態勢を固め、十七時を期し汽笛一斉吹鳴を行え」という闘争指令(支部指令第四十二号)を発し、この指令に基いて同日午後五時頃支部事務所に参集した数百名の国鉄労働組合員に対し、行政整理反対を陳情するため、管理部に押しかけようと指導した。他方管理部においては労働組合側の行政整理に関する一切の陳情や面接を拒否するため、同日午後五時以降管理部正門入口を閉め労組員の管理部構内に侵入することを禁止し、正門に守衛、公安係および文書係長本間久雄を配置してその衝に当らせた。然るに前記福島支部事務所に参集した労組員は管理部正門前に押しかけ構内に侵入しようとしたので、係員等から構内に侵入することを禁止する旨を告知したが、これに従わないで構内に入り管理部庁舎玄関前広場に蝟集し、労働歌を合唱しあるいは馘首反対を絶叫して騒然たるものがあつた。この状況下において、

(犯罪事実)

一、被告人斎藤は同日午後五時三十分頃管理部正門に至り門内に入ろうとしたので正門に配置され前記本間文書係長等の係員より門内に入ることを拒否されたが「俺は文書係長に用事はない、管理部長に用事があるのだ」と申向け正門側潜り門を通過し管理部庁舎内の部長室に不法に侵入し、

二、被告人岡田は同時刻頃管理部構内に他の労働組合員とともに集まり、同部長が労働組合員との面接を拒否していることを知悉しながら、午後十一時頃管理部玄関前において数百名の労働組合員に向つて「管理部長に会いたければ会わせてやろう」と言つて手を振り、あたかも部長室に侵入せよというが如き合図をして、数百名の組合員とともに部長室入口に押しかけ、実力を以て固く締めてある扉を開けさせ同部長室に二・三百名の組合員とともに侵入し、

三、被告人武田も同日午後十一時頃管理部長室に不法に侵入し、

四、同時刻頃右管理部長室に侵入した労働組合員が同部長に対し、馘首反対を絶叫し、「首切る奴は叩き殺せ」「首切る奴は唯おかぬぞ」などと怒号するに際し、被告人武田は右労働組合員の多衆の威力を示して「馘首は承認しない」「首切発表を撤回しろ」などと申向け、同人の身体または自由に対し危害を加うべきことをもつて同人を脅迫して畏怖させ、被告人岡田は多衆の労働組合員とともに、同武田の右言動に共同の認識をもつて同調して、管理部長の身体または自由に対し危害を加うべきことをもつて同人を脅迫して畏怖させ

たものである。

というのであつて、適用すべき罰条として一ないし三の各所為についていずれも刑法第百三十条が、四の各所為について暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項が掲げられている。

第二、当裁判所の判断

一、まず公訴事実一ないし三の被告人斎藤、同岡田、同武田の各住居侵入罪の成否について判断する。

1、被告人斎藤について

(一) 証人鈴木信に対する受命裁判官の昭和三十二年一月三十日附尋問調書、第三回公判調書中証人戸谷信雄の供述記載、第七回公判調書中証人中村国己の供述記載、同証人に対する当裁判所の尋問調書、第十四回公判調書中証人諏訪誠二の供述記載、被告人斎藤の当公判廷における供述、第二回公判調書中同被告人の供述記載、被告人武田の当公判廷における供述、同被告人の検察官に対する昭和二十四年七月三十一日附供述調書、当裁判所が昭和三十三年二月十七日施行した同月二十五日附検証調書および国鉄労働組合福島支部闘争委員長武田久の一九四九年七月二日附申入書と題する書面一通を綜合すると次の事実を認めることができる。

国鉄労働組合福島支部は昭和二十四年六月十二日、同年六月一日から施行された行政機関職員定員法(昭和二四年法律第一二六号。以下定員法という。)および同法に基いてなされる国鉄職員の人員整理に反対する目的で闘争委員会を設置し、当時同支部執行委員文化部長の地位にあつた被告人斎藤は同支部闘争委員となり、主として右反対闘争に関連して国鉄当局と組合側との交渉事務を担当することになつていた。降つて同月二十八日右福島支部闘争委員会は、国鉄労働組合中央闘争委員会の決定に基き反対闘争の具体的方法として、国鉄当局(福島支部闘争委員会にとつては福島管理部長)との間に馘首反対ならびに馘首基準について団体交渉を行うこと、各現場においては遵法業務を行うことおよび駅長・助役等現場長との間に被解雇者を出さないとの確約をとることを決定し、この決定に則つて右支部闘争委員会は同年七月二日同管理部長戸谷信雄に対し主として行政整理反対の集団陳情をするため、「福島分会は首切反対陳情のため七月二日十二時支部に集合せよ。現場には運転に支障のない最少人員を止めよ」という内容の闘争指令(支部指令三十八号)を出し、この指令に基いて同日午後二時過から福島市西町の福島管理部庁舎玄関前広場に集合した数百名の労働組合員とともに管理部長に対し、首切反対を集団的に陳情した後、被告人武田は「一、管理部長は首切案を撤回して九千六百の生活を守れ。二、部長は局長、総裁に首切を返上にゆけ。三、首切予定人員の二千名に対する具体的な失業対策を明示すれば条件によつて協議する用意がある。四、支部と整理条件について話合のつかぬ中は、個人通告を行わぬこと。五、臨時国会を早急に開かせるよう上申せよ」との五項目を記載した申入書と題する書面を手交してその回答を求めた。降つて同月四日午後二時四十五分頃から闘争委員長被告人武田、副闘争委員長渡辺郁造および闘争委員鈴木信は管理部長室において前記書面による要求の回答を求めて同部長と会見したところ、同部長は、前記書面での申入事項のうち一、二、四の各項については承認できない。三項についてはできるかぎり善処したい。五項については回答の限りではない旨返答すると同時に、仙台鉄道局長から管理部長あてに発せられた公訴事実記載のような電信を見せて今後組合側との話合は一切行わない旨を伝えた。このように前記書面による申入の回答が組合側にとつて満足すべきものでなかつた上に、今後組合側との交渉一切を拒否するという管理部長の態度に接したので、闘争委員会は、同日午後五時、これより先同日午後二時頃闘争委員会から発せられた公訴事実記載のような闘争指令(支部指令第四十二号)に基いて福島市太田町前記支部組合事務所に集合した労働組合員に対し、闘争委員長被告人武田において、これから管理部長に首切反対の陳情に行くから一緒に行つて貰いたい旨の指示をした。被告人斎藤は、前記のように闘争委員会の交渉係を担当していたので、他の闘争委員と協議のうえ一行より先に管理部庁舎に赴き同部長に対し支部労働組合の行政整理反対の陳情ならびに団体交渉に応じて貰いたいと接渉することにし、同日午後五時過前記鈴木および福島支部組合員諏訪誠二とともに組合事務所を出発し、午後五時三十分頃管理部庁舎正門に至り、同正門脇の小門から構内に入り、右庁舎玄関前において、公安係長岡部末治の指示を受けて管理部庁舎内に正当な理由なく立ち入ろうとする労働組合員を阻止するため看守中の公安係中村国己に会い、同人から「管理部長に会うには、本間文書係長に取次ぎを頼んで貰いたい」旨の注意を受けて同玄関を通過し、同庁の階段附近で文書係長本間久雄に会つたのに、管理部長室に入るには文書係に取次を求め同部長の承諾を得てからでなければならないことを知りながら、同係長に取次の依頼もせず、管理部長室に入るにつき承諾を得ないまま同庁二階総務課に通ずる南側入口から右部長室に立ち入つた。このような事実を認めることができる。第五回公判調書中証人本間久雄の供述記載ならびに同人の検察官に対する昭和二十四年七月二十五日附供述調書中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比して信用することができない。

(二) 以上の認定事実によれば、被告人斎藤の行為は刑法第百三十条の「人の看守する建造物に侵入したる者」という構成要件に該当する。しかし同被告人は福島支部闘争委員交渉係として、右闘争委員会の議により福島管理部長に支部労働組合の首切反対の陳情を聞いて貰い、整理基準等についての団体交渉を行なつて貰うよう同部長と接渉する目的を以て管理部長室に立ち入つたのであるから、その行為は国鉄労働組合福島支部の団体行動の一環として行われたものと認められる。そこで被告人斎藤の右建造物侵入の行為が故なくなされたものであるかどうか、すなわち違法性をおびるかどうかについて判断するため、右行為が労働組合法第一条第二項に規定する労働組合の正当な団体交渉と認められるかどうかについて考察する必要があり、それにはまず、国鉄労働組合福島支部が定員法に基く行政整理について国鉄当局(福島管理部長)に対し団体交渉権を有していたかどうかを検討しなければならない。

憲法第二十八条は勤労者の団体交渉権を、団結権および団体交渉以外の団体行動権とともに保障し、さらに日本国有鉄道の職員については公共企業体等労働関係法において具体的にその権利の内容が定められている。同法によれば国鉄職員には争議行為は禁止されているが、団結権および制限的に列挙された対象事項につき団体交渉権が与えられている(同法第四条、第八条第二項)。しかし、定員法附則第七項は、日本国有鉄道の職員は、その数が昭和二十四年十月一日において五十万六千七百三十四人をこえないように、同年九月三十日までの間に、逐次整理されるものとする旨を、同附則第八項はこの整理の実施する場合においては、日本国有鉄道の総裁は、その職員をその意に反して降職し、または免職することができる旨を規定し、さらに同附則第九項は、右の場合には、前記公労法第八条第二項および職員の苦情処理について定める同法第十九条の規定を適用しない旨規定しているので、本件についてみれば、定員法附則第九項の適用されるかぎり、国鉄労組福島支部は同法に基く職員の整理に関する事項を団体交渉の対象とすることができないことになるのである。しかし、同附則第九項中右の公労法第八条第二項の規定を適用しないとの部分は、結局、定員法に基く行政整理を交渉の対象とする限り、憲法第二十八条が保障する団体交渉権を国鉄職員から全面的に奪う趣旨に帰すると解さざるを得ないので、この部分が果して合憲であるかどうかについて考察しなければならない。

定員法は、国家行政組織法の施行に伴つて、その第十九条の各行政機関の職員の定員は法律でこれを定めるとの規定を実施するとともに、国鉄その他の官業労働者の過剰人員整理を行うことを目的として制定されたものであるが、その制定の動機は、直接的には昭和二十三年米国政府が連合国最高司令官マックアーサーに対してあてた中間指令を連合国総司令部が同年十二月十八日日本政府に対し書翰の形で通告した経済の安定、生産の増大および輸出の振興を標榜した経済九原則の第一目標である均衡財政の確立を図ることにあつたものと認められる。この定員法の施行日である昭和二十四年六月一日に施行された公共企業体等労働関係法は、公務員の争議行為の禁止および国有国営の鉄道事業ならびに専売事業の公共企業体化を示唆したマックアーサーの内閣総理大臣芦田均にあてられた昭和二十三年七月二十三日附書翰を直接の制定動機としたものであつて、この意味においては同法は、右書翰の意図する労働政策(当時の全官公労の労働攻勢に対処する政策)を反映するものであるが、定員法はその制定の動機において右公労法とは前記のように異つており、従つてとくに連合国の労働政策の立法化であるとみるべき根拠はなく、むしろその財政、経済上の政策の立法化とみるべきものである。

かように定員法は連合国総司令部の書翰通告にかかる経済九原則に基き均衡予算を実施することを制定の動機とし、しかもその実施は、当面の予算措置との関連において、行政機関の過剰人員の自然減を待ち得ない程度の緊急の必要性を有するものであつたから、さし当つて右過剰人員を整理することもやむを得ないという見解に基いて制定されたものと解される。このような政策の当不当は、裁判所の判断すべき事項の外にあり、かつこの点を定めた定員法附則第七項そのものは憲法の規定に照らして違憲とすべき理由はない。また国鉄職員の行政整理の実施には、日本国有鉄道の総裁が職員をその意に反して降職・免職することができる旨を定めた同法附則第八項についてみるに、従来運輸省の職員であり、身分としては公務員であつた国鉄職員は、日本国有鉄道法の施行によつて、公共企業体の職員という本質的には私法的な雇傭関係に基く身分に移行したのであるが、同項は、行政整理の関係においては、国鉄職員を国家公務員に準ずる地位にある者として特別権力関係の下に据置き、国鉄総裁の職員に対する免職行為を行政機関の単独行為として取扱う趣旨で規定されたものであつて、この規定もまた憲法違反ということはできない。

しかし、かように右行政整理に関する限り国鉄職員は身分的には公務員に準ずる性格を保有するとしても、公務員に対しても憲法第二十八条により団体交渉権が保障されているものと解すべきであり、それ故にこそ国家公務員法は著しく制限された形においてではあるが国家公務員について団体交渉権を認めていると解されるのであるから、公務員に準ずる性格を有するというだけでは、団体交渉権を否定する理由にならないのである。憲法の保障する団体交渉権は、同法第十二条、第十三条の趣旨にかんがみ、その行使が公共の福祉に反すると認められる場合に限り、これを制限することができると解すべきであるから、前記行政整理の実施の場合において公労法第八条第二項の適用を排除し、国鉄職員の団体交渉権を全く奪つてしまうためには、そのことが公共の福祉のために必要欠くことのできないものであること、換言すればこの場合に団体交渉権を認めることが公共の福祉に反することが説明されなければならない。そこで右の必要性の程度を検討する。

定員法附則第七項によれば、日本国有鉄道職員の整理の実施には、その全職員のうち五十万六千七百三十四人を超過する人員を整理しなければならないという数量的条件および整理期間は昭和二十四年九月三十日までであるという時期的条件とが伴つているのであるが、国鉄職員と団体交渉を行なうことは、どの程度右条件の充足を妨げるであろうか。

ひるがえつて、当時国鉄労働組合中央執行委員会では定員法に基く行政整理に対し、いかなる態度をとつていたかについてみるに、証人鈴木市蔵(当時国鉄労働組合中央執行副委員長兼闘争委員長代理)に対する当裁判所の尋問調書および証人子上昌幸(当時同労働組合中央執行委員)の当公判廷における供述を綜合すると国鉄労働組合としては定員法の制定および同法に基く行政整理に対しては基本的には反対の態度をとりながらも、行政整理の実施を余儀なくされる場合にはその整理の事実上の基準が不公正にわたらないように労働組合と団体交渉をして貰いたい旨の要求を掲げていたことを認めることができる。この事実によれば国鉄労働組合中央執行委員会としては、定員法の実施について国鉄当局に対し一点の妥協の余地もないほど強硬な態度をとつていたものとはいえない。のみならず、その点のいかんにかかわらず、国鉄当局は、労働組合側と交渉の結果、組合側の要求を容れることができないと認めた場合、窮極においては一方的に職員を免職する権限を有したこと前記のとおりであるから、団体交渉を行なうことによつて受ける支障はせいぜいのところ、前記時期的条件が満足されない虞のあること、換言すれば人員整理完了の時期が昭和二十四年九月三十日以後に或る程度延引されるかもしれないという点に求められるにすぎず、従つて国鉄職員の団体交渉権を奪う必要は、この支障を除去するという意味においてのみ存在したと認められるのである。このような必要性が憲法の保障する団体交渉権を法律によつて剥奪する根拠となり得るかどうかについて考えてみるに、団体交渉権を認めることによつて生ずる前記のような支障は、国家の均衡財政確立という政策に著しい支障をきたす程度のものとは認められない。まして、団体交渉権を認めることにより人員整理が不可能になり或いは国民経済に破局または危機をもたらすというような事情は認められない。また整理完了の時期が法定の期限を幾分こえることがあつても、それが憲法の要請をみたすためにやむを得ないものであれば、別段違法の問題を生じないと解すべきである。

一方、団体交渉権を認めない場合の弊害について考えるに、団体交渉を経ないで前記のように大規模な人員整理を実施するときは、その実施が国鉄当局の専恣に流れ、当局自身の規定する整理基準すら遵守されず、その結果不当労働行為を招来する虞があるといわなければならない。

以上の点を考察すれば、前記人員整理に際し国鉄職員の団体交渉権を奪うことが公共の福祉のために必要不可欠であること、或いは団体交渉権を認めることが公共の福祉に反することは認め難い。従つてこの場合国鉄職員の団体交渉を奪うことは憲法上許されず、定員法附則第九項の前記部分は憲法に違反して無効であると解するのが相当である。それ故国鉄労働組合福島支部は、定員法に基く行政整理の実施について団体交渉権をもつていたものといわなければならない。

次に、適法な団体交渉であるためには、団体交渉権に基くことが必要であるほか、その方式が適法でなければならないのであるが、これを公共企業体の職員の団体交渉についてみるに、その団体交渉は公共企業体を代表する交渉委員と職員を代表する交渉委員との間に行われ、これら交渉委員はそれぞれ交渉委員会を構成しなければならない(公共企業体等労働関係法第九条・同法施行令第三条)。本件において、被告人斎藤および同武田の当公判廷における各供述ならびに証人鈴木市蔵に対する前掲尋問調書および第十五回公判調書中証人梅津五郎の供述記載を綜合すると、国鉄仙台鉄道局福島管理部と国鉄労働組合福島支部とは当時それぞれ団体交渉の単位であり、被告人斎藤は同支部の交渉委員の一人であり、管理部長は国鉄当局を代表する者としてその交渉の相手方となつていたことをそれぞれ認めることができる。従つて前記認定の被告人斎藤の行為は福島支部の交渉委員たる資格に基いてなされたものということができる。また前記認定のように当局側が団体交渉を拒否していた以上、双方納得の上での団体交渉は到底望めず、かかる場合団体交渉の開始を要求する為に行われる交渉は、おのずから一方的にならざるを得ないことは当然であるから、被告人斎藤の行為は、団体交渉そのものとはいえないとしても、団体交渉権に基き国鉄職員の免職に関し労働協約の締結を目的として行われた団体交渉に準ずる労働者の団体行動であると解するのが相当であり、従つて正当な行為であると認めるべきである。

従つて被告人斎藤の前記行為は前記のように建造物侵入罪の構成要件に該当するものではあるが、刑法第三十五条により違法性を阻却し、罪とならないものである。

2、被告人岡田について

(一) 証人北山喬・同橋本節治に対する当裁判所の各尋問調書、第九回公判調書中証人田辺源三の供述記載、第十三回公判調書中証人本田嘉博・同小島孝七・同北山喬の各供述記載、第十四回公判調書中証人三浦喜久治の供述記載、戸谷信雄・渡辺謹治・大森勝四郎の検察官に対する各供述調書、(ただし、大森の供述調書は昭和二十四年七月二十七日附のもの)渡辺秀男の検察官に対する昭和二十四年七月三十一日附供述調書、被告人岡田・同斎藤千の当公判廷における各供述、被告人岡田の検察官に対する各供述調書、検察官の昭和二十四年七月二十八日附検証調書および当裁判所が昭和三十三年二月十七日施行した同月二十五日附検証調書を綜合すると次の事実を認めることができる。

被告人岡田は当時国鉄労働組合福島支部福島分会執行委員会書記長をしており、昭和二十四年七月四日午後四時頃右福島支部事務所に約六百名の労働組合員とともに集合し、午後五時頃、定員法に基く首切反対の陳情ならびに団体交渉支援の目的で福島管理部庁舎に向け出発した労働組合員より一足遅れて同庁舎に赴いたが、管理部正門前で門が閉鎖されていたため立往生していた組合員の一団と一緒になり、正門脇の小門を通つて同庁舎玄関前広場に入り同所で約五、六百名の組合員とともに、さきに管理部長のもとに団体交渉および組合員の集団陳情に応じて貰いたい旨の接渉に赴いた被告人斎藤や鈴木の交渉経過を待つていた。労働組合員の大多数は支部福島分会の組合員によつて占められていたので、同分会の書記長である被告人岡田は自然その場の指導的地位に立つことになり、その立場において庁舎二階管理部長室西側入口附近と玄関前との間をしばしば往復し、部長室の外側廊下からうかがい知つた被告人斎藤らと管理部長との間の交渉の経過等を逐一組合員に報告していたが、午後七時三十分過部長室では、管理部長が組合側と行政整理について交渉はしない、また組合員に会う必要はないとの態度を固執し、被告人斎藤らに退出を要求したので、同被告人らは、部長室を退出して玄関前の組合員に対し、右交渉の結果ならびに支部執行委員梅津五郎から被告人斎藤が聞知した、同日午後八時頃首切発表がなされる予定であるということを報告した。この頃、玄関前に待つていた多数の組合員は階段上り口に控えていた本間文書係長や公安係に対し口々に「部長に会わせろ」「部長に会わせろ」と要求し、これが拒絶されるや労働歌を歌いながら階段の踊場附近まで押し上り、階段で組合員を阻止していた右係長が、階段下の玄関前まで引きずり下されるという騒ぎが起り、このとき二階廊下にいた被告人岡田は階段の中途まで降りて来てこの騒ぎを制止した。しかし組合員はなお部長に面会を要求して玄関前に集つていたが、午後十時三十分頃になつても管理部長が組合側の交渉または集団陳情に応ずる様子が見えないので、組合員はそのまま待機するのに堪えられなくなり、交渉を組合の幹部に任してはおけない、皆で行つてしまえ、というような雰囲気が組合員の間に充溢し、しかもこの雰囲気は、もしこのまま国鉄当局が組合員の声を聞くことなく行政整理を押し進めるならば、職場から解雇され明日からにも生計の途を奪われてしまうという悲痛な状況に立たされた者達の叫びによつて一層昂奮の度を加え、組合員が玄関から押し入ろうとするに至つたので、被告人岡田は管理部長と面会できる見通しのもとに他の二・三の組合員とともに玄関前の組合員の自重を促し、庁舎に入らせないよう制止に努めたが、この場の空気は到底このままおさまらないものと見てとり、踊場下階段中程にいた本間係長に対し、「こういう状態だから是非部長に会わせてくれ。面会を拒否すれば皆は上るかもしれない。そのときの責任はお前にある」という意味のことを言つたところ、同係長は部長は会わないと答えてこの要求を拒否したので、同被告人は玄関口に戻つて労働組合員にこのことを報告した。ところが組合員のうちから組合幹部は手ぬるい、何をしているのだ、というような声が挙がり、同被告人はもう少し待つように宥めたが、組合員の要求と昂奮は高潮する一方であつたので、午後十一時過いまはもうどうすることもできないという気持になつてそれ以上組合員達を抑制することをしなくなつたすきに、約二・三百名の組合員がどつとばかりに玄関口から階段を駆け上り、先頭の者達が部長室西側入口に至り入口扉を「開けろ」「開けろ」と叫びながら押し叩いたすえ、約百名の者が部長室に侵入したので、同被告人も今ここで自分一人だけが組合員と行動を共にしないわけにはゆかないという気になり、部長の承諾のないことを知りながら、組合員等に続いて、断りなしに前記入口から同室内に立ち入つた。このような事実を認めることができる。菅野重次郎、鈴木一男の検察官に対する各供述調書中この認定に反する部分は前掲各証拠に対比して信用することができない。

(二) 以上の認定事実によれば、被告人岡田の右行為は刑法第百三十条の「人の看守する建造物に侵入したる者」という構成要件に該当する。

しかし、前記証拠によれば、(1)、すでに認定したように被告人岡田は当時右福島支部福島分会執行委員会書記長であり、同日集合した組合員の大多数は福島分会の組合員によつて占められていたため、玄関前に集合していた組合員約五・六百名の事実上の指導者として、組合幹部と管理部長との交渉経過を組合員に報告したり、組合員の事実上の意思を代表して文書係長本間に対し、管理部長が組合員に会つてくれるよう同部長への取次ぎを依頼したり、あるいは、昂奮して管理部玄関口から二階へ上ろうとする組合員を宥めたり制止したりすることによつて組合員を統率し、辛うじて組合員を秩序ある状態においていたこと、(2)、集合した組合員は行政整理によつて自分が解雇され生計の手段を失つてしまうかもしれないという深刻な不安に襲われながら、僅かに希望を管理部長と面会して話合うことにつなぎ、自分達の声を直接部長に聞いてもらいたいと切望していたこと、(3)、前記認定のように午後十一時頃被告人岡田から、管理部長が組合員に会わないという態度は決定的だという報告を聞いて組合員の昂奮は、最高潮に達し、同被告人も自分一人では到底この場の収拾はつかないと観念して制止をやめたすきに、約二・三百名の組合員が二階にどつとばかりに駆け上り、その中約百名が管理部長室に侵入してしまつたことが認められる。このような状態の下においては何人であれ、労働組合の役員として事実上組合員を統率する立場に置かれていた者に対して、すでに約百名の組合員が侵入してしまつている管理部長室に続いて立ち入ることを回避するのを期待することは到底不可能であるといわなければならない。

このように適法行為の期待可能性が存在しない場合には、当該行為者に対して社会的非難を加えることが全くできないのであるから、刑法第三十八条等によつて規定される責任の本質にかんがみ、その行為は罪とならないものと解するのが相当である。従つて被告人岡田の前記部長室に立ち入つた行為は罪とならないものである。

3、被告人武田について

(一) 証人鈴木信に対する受命裁判官の昭和三十年一月三十日附尋問調書、第十四回公判調書中証人金子慶雄の供述記載、渡辺謹治の検察官に対する供述調書、被告人武田の当公判廷における供述ならびに検察官に対する供述調書および当裁判所が昭和三十三年二月十七日施行した同月二十五日附検証調書を綜合すると次の事実を認めることができる。

昭和二十四年七月四日午後六時頃当時国鉄労働組合福島支部執行委員長兼闘争委員長であつた被告人武田は管理部玄関前広場に着き、すでに被告人斎藤および鈴木が管理部長と交渉していることを了知するにおよんで、その交渉経過を待つうち午後七時三十分過斎藤や鈴木が部長室を退出してきて部長がこれ以上話合う必要はないとの態度を変えない旨の報告をしたので、自ら管理部長に会つてみる必要があると考えて本間文書係長に対し、部長と会つて善後策を講じたい旨申入れたが断わられてしまつた。そこで同被告人は管理部庁舎の施設課の前庭の附近で鈴木信とその後の具体的方策について話合つたり、各職場代表の組合員の意向を聴取したりしていたところ、午後十一時頃管理部庁舎の北側から玄関口に通ずる廊下を階段下の附近まできたとき、先に被告人岡田につき認定したように階段をどつとばかりに駆け上る多数の組合員を目撃したので、支部闘争委員長としてどうしたらよいかと思案しているうち、階段を少し上つた辺りで労働係長田辺源三が「武田委員長いないか。部長が武田に会いたいと言つている」という意味のことを告げ、これを鈴木が聞いて階段上り口附近にいた被告人武田に対し「部長室で呼んでいるからきてくれ」と伝えた。そこで同被告人は、自分が管理部長またはその他の国鉄当局側の者に呼ばれたのか、あるいは部長室に入つた組合員に呼ばれたのかわからなかつたが、ともかく部長室にきてくれと呼んでいるので、部長室に入ることは同部長の承諾しているところであると信じて同室に入つた。右認定事実によれば被告人武田は管理部長室への入室は同室の管理者である同部長が承諾しているものと信じて前記行為に出たことが明らかであるから、同被告人の右行為は罪となるべき事実の認識を欠き、従つて罪を犯す意思のないものというべきである。それ故被告人武田の右行為もまた罪とならないものである。

二、次に公訴事実四の被告人武田、同岡田の各暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の成否について判断する。

1、被告人武田について

(一) 第四回公判調書中証人渡辺謹治、同石川芳雄の各供述記載、第五回公判調書中証人本間久雄の供述記載、第六回公判調書中証人伊藤文造・同大森勝四郎の各供述記載、渡辺謹治・鈴木一男の検察官に対する各供述調書、大森勝四郎の昭和二十四年七月二十七日附ならびに伊藤文造の検察官に対する各供述調書(ただし、「被告人武田は自己の発言の合間合間に組合員が騒ぎ立てるのを手を挙げて制止していたがそれはあたかもこのような方法で組合員を煽動しているようだつた」旨の各記載部分を除く)、被告人武田の当公判廷における供述、当裁判所の前掲検証調書、検察官の昭和二十四年七月二十八日附検証調書および韓泰重ほか三名に対する住居侵入被告事件の確定記録第二百二丁の三として編綴してある写真一葉を綜合すると次の事実を認めることができる。

昭和二十四年七月四日午後十一時頃前記認定のように管理部玄関前から二階管理部長室西側入口に駆け上つた約百名の支部組合員(若干外部団体員も含む)が右西側入口および部長室北側施設課に通ずる入口の扉を押す、叩くなどして部長室への侵入を試みているとき、部長室では部長は同室の北側寄りの部長席に就き、総務課長石川芳雄ほか課長三名、係長二名も同室内で、それぞれ衝立などを右各入口扉に配して、待機していたが、十一時十五分頃西側入口扉が組合員によつて開かれるやせきを切つたように多数の組合員が室内になだれ込み、部長席の周囲を取巻いてしまつた。被告人岡田はこのように組合員が室内に一杯になるほど入つた後部屋に入つた。室内の多数の組合員は口々に「部長ひどい」「よくも首を切つた」「福島管理部は首切りの人数が一番多い」「馬鹿野郎」などと言い、その中の一人は、部長席の南側にある応接用の丸テーブルの上に上り、あぐらをかき右同旨の言葉を発し、はては組合員の中から首切る奴はただおかない、という言葉も飛び出し、一時その場は騒然となつた。このように管理部長に対し組合員が非難を浴せている十一時二十分頃、前記認定のように被告人武田は部長室に西側入口から入り、組合員をかきわけて部長席の向つて左前に進み出、同岡田はその右脇に進み出た。被告人武田はまず右のように騒いでいる組合員を「静かにしてくれ」と制止した後、管理部長に対し、「今日午後二時から四時過まで会つたときは、整理のことはわからないと言つておきながら、われわれ組合側に何の通知もなしに首切りの発表をするとはひどい。首切りは賃金闘争などより労働者にとつては重大な問題であるのに、組合と何の協議もしないで、首切りのリストができあがつてから見せられてもわれわれは承知できない。殊に組合運動に熱心な者を多数首を切つている。部長は、首切りは組合と協議してきめるという約束を破つた。だから今日のような騒ぎが起きたのだ。この責任は当局が負うべきだ」という意味のことおよびさきに国鉄当局が発表した行政整理の基準通り公正に整理を実施するには、組合との協議が是非とも必要であるから、当局はもう一度考え直して組合と協議のうえ納得のゆく整理をやつて貰いたい、ということを演説口調で述べた。その間管理部長は自席で眼を閉じて沈黙していたが、組合員は同被告人の発言の合間合間に「首切りを撤回しろ」「何故眼を閉じているのだ」「おやじ眠つているのか」「馬鹿野郎」などと叫び、その都度同被告人は背後の組合員に対し、手を挙げてこれを制止し、このようにして同被告人の発言が終りに近づくに従つて、部長室内の組合員は次第に平静を取戻し始めた。被告人武田の発言が終つた頃の午後十二時近く同部長室に国鉄福島機関区長を先頭にした五・六名の国鉄職員、続いて郡山機関区長以下数名の国鉄職員、最後に郡山検車区および車電区の職員十数名が順次部長室に入つてきてそれぞれ約六・七分間ずつ行政整理反対の陳情をし、その際管理部長はいちいち自席から立つて応待したが、この応待が郡山検車区および車電区の職員に対してなされている翌七月五日午前零時過、庁舎の表に警官隊のサイレンが鳴り始め、警察官の退去命令が伝えられたので、室内の組合員一同は順次室外に退出し始め、この頃被告人武田、同岡田は部長室から出るに至つた。

このような事実を認めることができる。第三回公判調書中証人戸谷信雄の供述記載、同人の検察官に対する供述調書および第九回公判調書中証人田辺源三の供述記載中右認定に反する各部分(管理部長室に侵入した組合員は「首切る奴は殺せ、」「首切る奴はやつてしまえ」と叫んでいた旨の供述部分)、大森勝四郎・伊藤文造の検察官に対する各供述調書中前記除外部分はいずれも前掲各証拠に対比して信用することはできない。

(二) 以上に認定した被告人武田の行為が暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項にあたるかどうかについてみるに、

(1) 前認定のように約百名の労働組合員が管理部長室に立錐の余地もないほど侵入し、使用者側の代表者である管理部長に対し、前認定のような言動に出、一時室内が騒然となるまでの気勢を挙げたのであるから、このような気勢は人の意思を制圧するに足るものであつて、これをもつて多衆の威力ということができる。

(2) しかし、同法第一条第一項、刑法第二百二十二条の罪の成立には、行為者が多衆の威力を意識的に背景にして通常人を畏怖せしめるに足る害悪を相手方に告知する必要がある。ところが、被告人武田は闘争委員長として、部長室に入るやまずこのような労働組合の喧騒を「静かにしてくれ」と言つて制止し、その後前認定のような趣旨のことを演説口調で述べ、発言の合間合間に組合員が合槌をうつて騒ぎ出すごとに手を挙げてこれを制止していたものであつて、このような同被告人の行為は多衆の威力を意識的に背景にする行為とはいうことができないし、また同被告人の言語挙動には通常人を畏怖せしめるに足る害悪の告知に相当するものをいささかも認めることができない。

従つて被告人武田に対する公訴事実四の前記法律違反の点については犯罪の証明がないといわなければならない。

2、被告人岡田について

被告人岡田が管理部長室に入室してから退出するまでの部長室内の状況は前記1(一)に認定したとおりである。右認定事実によれば、同被告人が七月四日午後十一時十五分頃から翌五日の午前零時過まで約百名の組合員とともに管理部長室にいたことおよび同被告人は入室直後は多数の組合員の間にはさまつていたが、被告人武田が入室した後管理部長席の向つて左脇に進み出て同被告人と竝んだことはこれを認めることができる。しかし、前記のように被告人武田の言動が脅迫行為にあたるものとは認め難い以上、単にこれに同調する行為が犯罪を構成しないことは明らかであり、かつ被告人岡田が前記認定のような多衆の威力を意識的に背景にして、他の組合員と共同して、あるいは単独で脅迫行為に出たことを認めるに足りる証拠は全くないので被告人岡田に対する公訴事実四の前記法律違反の点についても犯罪の証明がないというべきである。

第二章  伊達駅事件

第一公訴事実

右事件の起訴状記載の公訴事実の要旨は次のとおりである。すなわち、

(被告人斎藤、同赤間の当時の職業ならびに組合関係)

被告人斎藤、同赤間はいずれも元国鉄職員であつて昭和二十四年七月五日定員法に基く行政整理により退職したものであり、当時被告人斎藤は国鉄労働組合福島支部執行委員文化部長、同赤間は右労働組合福島支部員であつたものである。

(事件発生までのいきさつ)

被告人斎藤は昭和二十四年七月六日国鉄労働組合福島支部事務所において、同支部執行委員梅津五郎と協議のうえ、同月七日東北本線伊達駅の駅長、助役等の不正を摘発することを決定し、被告人赤間ほか同支部組合員である佐藤昭五、小野喜一、渡辺秀男、佐藤次男、渡辺宗一等二十数名に対し右不正摘発のため同月七日午前九時福島駅発下り列車で伊達駅へ同道すべきことを直接または間接に告知した。

(犯罪事実)

被告人斎藤、同赤間は前記告知に基いて同日午前九時過頃福島県伊達郡伊達町国鉄東北本線伊達駅事務室に集合した国鉄労働組合員梅津五郎、佐藤昭五、小野喜一、尾形政雄、大槻藤田、神尾茂雄、渡辺秀男、佐藤次男、渡辺宗一外約二十名とともに相互に共同認識のうえ、同日午前九時過から午後零時三十分頃まで同所において、多衆の威力を示し、

一、同駅駅長高橋元秀に対し、被告人斎藤において、同月五日解雇された同駅駅員佐藤昭五、小野喜一、大槻藤田、神尾茂雄をいかなる理由で解雇したかと詰問し、同駅長が自分はその理由は知らないと答えるや被告人斎藤、同赤間は他の労働組合員とともに駅長としてそのような事があるか、そんな駅長は止めてしまえ、われわれはこれから国鉄職員ではないからどんなことをするか判らんぞ、と申し向け、同人の身体または自由にどんな危害を加えるかもしれない言動を示して同人を脅迫し、

二、同駅助役真島弘に対し、被告人斎藤において、お前は元伊達駅駅員佐藤昭五、小野喜一が共産党系の者だから馘首されたという意味のことを言つたそうだが、その事実はどうだと詰問し、同助役がそのようなことを言つたことはないと答えるや、被告人斎藤、同赤間は他の組合員とともに、嘘を言うな、われわれは鉄道員でなくなつたのだからどんなことをするかかわらぬぞ、お前のような助役はやめてしまえ等と申し向け、同人の身体または自由にどんな危害を加えるかもしれない言動を示して同人を脅迫し、

三、同駅助役横山等に対し、被告人斎藤において、同駅員神尾茂雄等四名を解雇したのはいかなる理由かと詰問し、同助役が自分にはその理由はわからぬと答えるや、助役としてわからぬことがあるか、そのような事をわからぬというような助役はやめてしまえと言い、被告人斎藤、同赤間は他の組合員とともに、われわれは鉄道員でないからどんなことするかわからんぞ等と申し向け、同人の身体または自由にどんな危害を加えるかもしれない言動を示して同人を脅迫し、

四、ついで同助役横山に対し、被告人斎藤において、同駅の駅長、助役等が(イ)列車一斎取締の際駅構内にこぼれていた米を拾つて自宅に持ち帰つたことがあるかどうか、(ロ)駅構内に乗客が遺棄したリンゴを勝手に処分した事実があるかどうか、(ハ)駅員をして駅の風呂たきをなさしめた理由はどうか、(ニ)駅員をして駅長等の昼食弁当箱を運ばせた理由はどうか等と逐次尋問して威嚇したうえ、同助役横山に対し、駅長、助役等から七月五日同駅勤務を解雇された神尾茂雄等四名の就職その他の世話をするのは当然であると称し、右就職のあつせんおよび神尾の療養費の負担をさせる目的をもつて、

「今回行政整理によつて犠牲になつた者を責任をもつて七月中に他の職につかせることを約束する。

これが決定するまでは職員として今迄と同じ様に取扱つてゆく。

神尾君の療養費は全額負担とする。

昭和二十四年七月七日

伊達駅

駅長

助役」

と記載した確約書と題する書面をつきつけて、これを確認して署名捺印せよと強要し、同助役がこれに応ぜざるや、部下の世話するのは当然だ、われわれが怒らぬうちに承認して調印する方がためになるぞ、怒つてからではもうおそいぞ、などと申向け、その場にいた組合員尾形政雄は、長さ二尺五寸位の篠竹で机上を叩き、被告人赤間はその他の組合員とともに、われわれは国鉄職員でないから、どんなことをするかわからぬぞ、と気勢をあげてその行為を助け、同助役をして、右確約書と題する書面を、

「今回行政整理によつて犠牲になつた者を責任をもつて他の職につかせることを約束する。

神尾君の療養費は全額を負担する。

以上の事に付ては駅長並に他の助役と相談して善処する様取計又努力する。

昭和二十四年七月七日

伊達駅 横山助役」

と訂正させたうえ署名捺印せしめ、もつて他人をして財産上不正の利益を得しめる目的をもつて強談威迫の行為をし、

たものである。

というのであつて、適用すべき罰条として一ないし三の各所為についていずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項が、四の所為について同法第二条第一項が掲げられている。

第二当裁判所の判断

一、証人渡部義通・同子上昌幸・同小野喜一・同渡辺秀男・同小林忠夫・同羽田栄夫・同渡辺郁造の当公判廷における各供述、証人渡辺喜作に対する当裁判所の尋問調書、第十八回公判調書中証人高橋元秀・同真島弘の各供述記載、第十九回公判調書中証人大槻藤田の供述記載、佐藤昭五・高橋元秀・横山等・武田三雄・渡辺宗一・三浦徳永の検察官に対する各供述調書、小野喜一ほか三名に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件の確定記録公判調書中証人梅津五郎の供述記載、同確定記録中証人横山等に対する福島地方裁判所の尋問調書、被告人斎藤ならびに同赤間の当公判廷における供述、第二回公判調書中被告人斎藤の供述記載、当裁判所が昭和三十三年二月十八日施行した同月二十五日附検証調書、前掲確定記録中福島地方裁判所の昭和二十五年二月五日附検証調書、同確定記録第三四七丁として編綴してある「確約書」と題する書面一通および尾形政雄ほか七名に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反事件の確定記録第二一六丁として編綴してある「確約書」と題するペン書の書面一通を綜合すると、次の事実を認めることができる。

国鉄労働組合は昭和二十四年四月に開かれた全国大会において、定員法に基く行政整理に対する反対運動の具体的方法の一として国鉄職員の上級幹部の不正を摘発するという闘争方法を決議し、同労働組合福島支部においても同年六月に開かれた支部大会において同様の決議をし、これに基いて同支部闘争委員会は同月二十八日当面の運動方針の一として、国鉄当局に対し不正幹部の整理を要求することによつて行政整理をできるだけ公平に実施させることおよび同時に駅長・助役など現場長に対し、その配下の職員中から被解雇者を出さないことを確約させることに右運動の具体的な目標をおいた。ところが昭和二十四年七月五日国鉄仙台鉄道局福島管理部管内の伊達駅では同駅駅手佐藤昭五・同神尾茂雄・同大槻藤田・踏切警手小野喜一の四名が定員法に基く行政整理により解雇され、同日解雇辞令ならびに退職金を受領した佐藤は、福島支部組合事務所に赴き右伊達駅における行政整理の次第を組合幹部に告げたところ、同人は、支部執行委員梅津五郎から伊達駅幹部の不正事実の有無を問われたので、翌六日小野喜一を同伴して再び組合事務所に赴き「伊達駅の駅長助役等が(イ)列車一斉取締の際駅構内にこぼれていた米を拾い集めて自宅に持ち帰つた。(ロ)駅構内に遺棄されてあつたりんごを勝手に処分した。(ハ)駅員をして駅の風呂焚をさせた。(ニ)駅長等の昼食弁当箱を駅員に運ばせた。」等の諸事項を記載した書面を組合幹部に交付して不正摘発運動の参考資料に供した。そこで、福島支部闘争委員会は、同日支部組合事務所において、翌七日伊達駅へ闘争委員である被告人斎藤・梅津五郎の他組合員を赴かせて、同駅の駅長・助役等に対し、右佐藤昭五ほか三名の解雇理由ならびに前記書面記載の事実の有無を聞きだすことに決定し、この旨を被告人赤間、佐藤昭五、小野喜一、大槻藤田、佐藤次男、羽田栄夫、三浦徳永、渡辺宗一等二十数名に口頭、電話その他の方法で伝えてその参加方を促した。そこで翌七日朝被告人斎藤、同赤間は、同支部組合員渡辺秀男、後藤隆太郎、鈴木嘉七、清野陸郎、青木芳郎、三浦徳永、三浦久、岸波清寿、田辺重雄、二瓶政治、佐藤次男、羽田栄夫、尾形政雄、渡辺宗一、黒沢勝雄および武田三雄等とともに福島駅に集合し、同駅午前九時発伊達駅午前九時十四分到着の下り列車で伊達駅に至り、すでに同駅事務室において同駅長高橋元秀に対し、前記佐藤昭五ほか三名の解雇理由を質問中であつた梅津五郎、佐藤昭五、小野喜一、大槻藤田および神尾茂雄の五名と一緒になり、被告人斎藤と梅津は駅長席の前に、伊達駅で解雇された佐藤昭五ほか三名の者ならびにその他の組合員約十名は同被告人の脇や後方にそれぞれ駅長に相対して位置し、このような状況のもとに、まず同駅長に対し、被告人斎藤および梅津は、伊達駅の職員四名の解雇理由を尋ねたところ、同駅長は自分にはわからないという意味のことを答えた後、用便のため一旦その場を立ち続いて上り通過貨物列車の取扱いのためホームに廻つた。この間に、同事務室西側の助役席にいた同駅助役横山等が佐藤昭五に要求されて駅長席の南横の椅子に腰かけたところ、被告人斎藤は同人に対し、高橋駅長に対してと同様伊達駅における被解雇者四名の整理された理由について質問し、これに対し同助役がわからない旨答えているところへ、当日非番のため自宅にいた同駅助役真島弘が前記組合員のうち一人から呼出を受けて入つて来て、駅長席の南脇に腰かけた。すると被告人斎藤は今度は右真島助役に対し、今回伊達駅で首を切られた四人は、共産党の思想があつたからだという話を聞いたがどうだ、という意味の質問をし、同助役がそのようなことはないと答えているうち、駅長がホームから自席に戻つたので、同被告人は再び駅長に対し、どういう理由で首を切つたのかなどと鋭く質問し、同人がわからないと答えるや、その場にいた他の組合員は、駅長や助役がそんなことを知らない筈はない、そんな駅長や助役はやめてしまえ、などと叫んだが、これに対して同駅長は何も答えなかつた。そこで被告人斎藤と佐藤はかたわらの真島助役の方を向いて、こつちの方から交渉を片附けてしまおうという意味のことを私語し、同被告人は同助役に対し、伊達駅で解雇された前記四人は共産党の思想があるから首を切つたと言つたことがないかと尋ね、同助役がこれに答えないでいると神尾、大槻はこもごも、真島助役がそういうことを言つたということについては俺達が証人になる、という意味のことを述べ、同被告人は同助役に紙と鉛筆とを差し出して、いつたならいつた、いわないならいわないという意味のことを書け、と要求したが、同助役はこれに応じなかつた。その後午前十時六分の下り貨物列車が通過するので、高橋駅長と横山助役は取扱いのためにホームに出たところ、ホームに近いところにいた組合員の一人が、駅長を後からつんのめしてしまえ、と言い、この頃真島助役は同駅事務室から帰宅した。この列車取扱後横山助役は再び駅長席の横に腰かけ、被告人斎藤、梅津、大槻等約十名の組合員が前同様に同助役に相対して集まり、同被告人は同助役に対し、(イ)駅構内に乗客が遺棄したりんごを勝手に処分したことがあるか、(ロ)列車一斉取締の際構内にこぼれた米を持つて行つたことがあるか、(ハ)駅の職員を私用に使つたことがあるか、(ニ)官舎の雪を掃かせたことがあるか、(ホ)駅長官舎から職員に弁当運びをさせているのではないか、(ヘ)駅員に風呂焚きをさせるということだがどうか、(ト)病気で診断書を提出した者に強制的に勤務をさせているということだがどうか、(チ)休暇をくれないということだがどうか、などと質問し、同助役はいちいちこれに答え、同被告人はその答を全部メモに取つた上、助役に対し、今回の退職者に対し何か就職を考えているかと質問し、同人ができるだけのことはしたいと考えている旨答えると、同被告人は、

「確約書

今回行政整理によつて犠牲になつた者を責任をもつて七月中に他の職につかせることを約束する。

一、これが決定する迄は職員として今迄と同じように取扱つて行く。

二、神尾君の療養費は全額を負担する。

昭和二十四年七月七日

伊達駅

駅長

助役」

と記載された書面を出してこれに署名押印して貰いたい旨を要求した。同助役は自分個人としては到底このような確約はできない旨答えて、同事務室西側の自席に戻ると、同被告人を含めた四・五名の組合員が同助役席にきて、これに印を押さないようでは助役としての資格がないなど言い張り、その頃組合員尾形が長さ約二尺五寸の篠竹で同助役の向いの机を二・三回叩き、判をつけ、と叫んだが、なおも同助役がこれに応じないので、被告人斎藤は新たに

「確約書

一、今回行政整理によつて犠牲になつた者を責任をもつて他の職につかせることを約束する。

二、神尾君の療養費は全額を負担する。」

と記載された書面を差し出して署名押印を要求したところ、同助役は依然として判を押せないと拒否するので、同被告人は、押せないなら辞職願を出せと言い、その場にいた他の組合員は同助役の机の前にあつた印箱をもつて机の上を二・三回叩いて「押せ、押せ」などと叫んだところ、同助役はこの確約書にもう一項目つけ加えさせてくれれば判を押すと言つて、同書面二項の左脇に「以上の事については駅長並に他助役と相談して善処する様取計又努力する」と附記し、横山助役と署名押印したうえこれを同被告人に手渡した。このように被告人斎藤等が横山助役に対し、確約書と題する書面に署名押印を要求していた午前十一時三十分過、当時の日本共産党の代議士渡部義通がたまたま同駅に下り列車に乗るため立寄り、同事務室内で横山助役に対し定員法による首切り反対の理由を話し首切り撤回を要請した後、同駅午後零時五分発下り列車で同駅をたつたが、被告人斎藤、同赤間および他の組合員一同は渡部をホームに見送つて間もなく同駅事務室を退出した。

被告人赤間は、当時未だ十八年十月の少年であり、組合運動の経験に乏しく、そのため最初被告人斎藤および梅津が高橋駅長に対し、伊達駅で解雇された四人の職員の整理理由を質問している頃までは同駅事務室で他の組合員と行動をともにしていたが、この後前記のような交渉に倦怠を覚え、事務室の北側にある乗客待合室に行き、売店からチュウインガムなどを買つて待合室附近をぶらついていたものでありその間何度も事務室内へ入つてはきたものの、それは交渉の区切りや経過を確かめてはまた室外に出てしまうという程度のことであつた。

このような事実を認めることができる。以上の認定に反する真島弘の検察官に対する供述調書(とくに、組合員が真島助役に対し「われわれは鉄道員でなくなつたからどんなことをするかわからない」「これも下山総裁の二代目か」「ガード下にふんじばつて吊してしまえ」といつた旨の供述記載部分)、大槻藤田・神尾茂雄・尾形政雄・小野喜一・被告人赤間の検察官に対する各供述調書(各供述調書中とくに斎藤千が横山助役に対し、「われわれがおとなしくしているうちに確約書を書いた方がよいぞ。われわれが怒つてから判を押したのでは遅いぞ」と言つた旨の各供述記載部分)、青木芳郎の検察官に対する供述調書(とくに、斎藤か梅津かが駅長に対し「わけもわからず人の首を切つたのではただおかぬぞ」と申し向けたという供述記載部分ならびに斎藤が横山助役に対し「われわれがおとなしくしているうちに確約書を書いた方がよいぞ。われわれが怒つてから判を押したのでは遅いぞ」と言つた旨の供述記載部分)はいずれも前掲各証拠に対比して信用することができない。

二、以上の認定事実にもとづいて、まず公訴事実一ないし三の被告人斎藤、同赤間の各暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の罪の成否について判断する。

1、被告人斎藤について

(一) 高橋駅長に対する行為(公訴事実一)

暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項にいわゆる多衆の威力を示して人を脅迫する行為とは、行為者が多衆の威力を意識的に背景にして、相手方に対し、通常人を畏怖せしめるに足りる害悪を告知することをいうのである。これを本件についてみるに、被告人斎藤ほか十四・五名の組合員は伊達駅長高橋元秀に対し、前方ならびに横の方から同人を取囲むようにして相対し、前記認定のように種々質問し、その中の者が駅長やめてしまえなどと叫んで気勢をあげたのであるから、このような状況は多衆の威力にあたるといえる。しかし、駅長も組合員も同じ国鉄職員であること、本件のような集団的交渉にあつては相互に語気の荒くなることは通常の事態であること等にかんがみると、被告人斎藤が同駅長に対し「どういう理由で首を切つたのか」と鋭く質問した行為は勿論、その他の組合員が「駅長やめてしまえ」などと言つた行為も、未だ通常人を畏怖せしめるに足りる害悪の告知とはいうことができない。また同駅長が午前十時六分の下り通過貨物列車の取扱いにホームに出たところ組合員の一人が「駅長を線路につんのめしてしまえ」といつたことは認めることができるが、被告人斎藤が右発言者と共同の意思をもつていたことを認めるべき証拠はない。

従つて、同被告人について、公訴事実一の犯罪はその証明がないといわなければならない。

(二) 真島助役に対する行為(公訴事実二)

前記認定のように、真島助役に対して被告人斎藤ほか十四・五名の組合員が同人を取囲むようにして相対し、同被告人が「伊達駅で首を切られた四人は共産党の思想があつたからだという話を聞いたがどうだ」と質問し、同助役がわからない、と答えるやその他の組合員が「助役が首切りの理由を知らない筈はない」「そんな助役はやめてしまえ」「真島助役がそういつたことについては俺達が証人になる」など口々に叫んで気勢をあげたのであるから、このような状況が多衆の威力にあたることは(一)の場合と同様である。しかし、組合員の右言動や、被告人斎藤が同助役に対し、紙と鉛筆とを差し出し、前記のように「いつたならいつた、いわないならいわないと書け」と要求したことは、人の意思を制圧する程度のものであつたとしても、前同様、人を畏怖せしめるに足りる害悪の告知であるということができない。他に同被告人が同助役に対して脅迫に該当する行為をしたことを認めるべき証拠はない。

従つて、同被告人について公訴事実二の犯罪はその証明がないといわなければならない。

(三) 横山助役に対する行為(公訴事実三)

前記認定のとおり、被告人斎藤およびその他の組合員十四・五名が横山助役に対し同人を取囲むように向い合い、同被告人は伊達駅の職員四名を解雇した理由を質問し、これに対し同助役がわからないと答えるや、その場にいたその他の組合員が口々に「そんなことを助役がしらない筈はない」「そんな助役はやめてしまえ」などと叫んで気勢をあげたことは、多衆の威力ということはできるが、同被告人が同助役を脅迫したことを認めるべき証拠のないことは前記(一)(二)と同様である。

従つて同被告人について公訴事実三の犯罪はその証明がないといわなければならない。

2、被告人赤間について

前記認定のように、被告人赤間は国鉄労働組合福島支部の伊達駅幹部に対する不正摘発運動の一行に加つて同駅に行き、被告人斎藤および梅津が高橋駅長に対し、伊達駅で四人の職員が解雇された理由について質問している間は其の場に立会つていたが、その後は駅事務室と乗客待合室とに出たり入つたりしてその附近をぶらついていたものである。このほかに被告人赤間が高橋駅長や真島・横山両助役に対し、どのような言語、挙動にでたかについて証拠は全くない。

被告人斎藤について公訴事実一ないし三の各犯罪の証明がないこと前記のとおりであるから、単に同被告人らの近辺に時々来て交渉の成りゆきを傍観していたにすぎない被告人赤間についても右各犯罪の証明がないことは論をまたないところである。

三、次に公訴事実四の被告人斎藤、同赤間の各暴力行為等処罰ニ関スル法律第二条第一項、第一条第一項前段の罪の成否について判断する。

(一) 同法第二条第一項にいわゆる「財産上不正ノ利益」の「不正」とは、財産上の利益が健全な社会通念に照らして不当であること、すなわち条理に反するものであることを要する。本件において、被告人斎藤、同赤間が他の組合員とともに、前記認定のような確約書と題する書面を横山助役に差し出し、同人に対し同書面に記載されてある各条項の承諾ならびに同書面に同助役の署名押印を求めたことは前記認定のとおりであるから、かかる行為は伊達駅で解雇された佐藤昭五ほか三名の者をして財産上の利益を得しめる目的をもつてなされたものと認めることができる。しかし、小野喜一ほか三名に対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件の確定記録公判調書中証人梅津五郎の供述記載、被告人斎藤の当公判廷における供述を綜合すると、右書面に記載された要求事項の具体的内容は、伊達駅の駅長や各助役は、現場長としての地位と資格とにおいて、部下である前記被解雇者の就職口を知人・友人などの手を通じて見つけて貰いたい。そして就職口が見つかるまでは国鉄職員のためにある福利厚生施設などを利用し得るよう努力して貰いたい。特に神尾は病気療養中解雇されたので非常に気の毒であるから、今後の療養費も共済組合制度を利用し得ることによつて支出しないで済むような便宜を講じて貰いたい、という程度の趣旨のものであつたことを認めることができる。右の事実と、行政整理による被解雇者に対する失業救済対策については重要な政治的社会的問題が存在していた当時の社会情勢および国鉄が複雑な機構と大規模な企業経営組織とを有している反面、上級職員と下級職員との間には家族的な人情で貫かれた紐帯が伝統的に存在していたことなどを考え合わせると、前記の財産上の利益は健全な社会通念に照らしてみて必ずしも不当、不条理であるということはできず、従つて被告人斎藤、同赤間が他人をして財産上不正の利益を得しめる目的をもつていたことは認めることができない。

(二) このように、被告人斎藤、同赤間の前記認定の行為は、財産上不正の利益を得しめる目的をもつてなされたとは認められないから、右被告人両名が多衆の威力を示して強談、威迫の行為をしたかどうかについて判断するまでもなく、公訴事実四の犯罪は被告人両名についてその証明がないものといわなければならない。

結論

以上のように、本件各被告事件のうち昭和二四年(と)第二三五号・第一九九号住居侵入・暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件(いわゆる福島管理部事件)の前記摘示公訴事実一ないし三は罪とならず、四は犯罪の証明がなく、また同年(と)第一七七号・第一七八号暴力行為等処罰ニ関スル法律違反被告事件(いわゆる伊達駅事件)の前記摘示公訴事実一ないし四はいずれも犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条により被告人四名に対しいずれも無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 菅家要 小野慶二 逢坂修造)

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